風邪引いた。咳が止まらない。頭いてぇ。
だが何もしない日曜などありえない。
よって、ただでさえ小さい脳みそがさらに縮小している感覚があるが、このブログを書くこととする。
今回私が書き記したいことはこれだ。
『映画を観るなら字幕か吹き替えか』
「あぁ、実にくだらない。」
「映画の観かたなんて人それぞれじゃあないか。」
「どうしてして人と人は争い合うのだろう…。」
うるせぇ。
まず前提として、私は字幕派である。
そしてこの派閥の主張と共に、私にとあるレッテルが張られる。
それは「かっこつけ」だ。
多くの吹き替え派の主張は「吹き替えのほうが楽」だ。
そして、『わざわざめんどくさいことをしている』我々を
「かっこつけ」と蔑称する。
ゆるせねぇ。
そもそも、字幕を読むことは面倒ではない。
が、それで戦っても答えは出ない。
「字幕がだるい」と言ってる相手に「字幕はだるくない」と言っても盤面はこう着、むしろ「吹き替えが楽」と言う意思を強めるだけだ。
私はなにもどちらかがぶっ倒れるまでの殴り合いがしたいわけではない。
一方的に殴りたいのだ。
よって、次の手としてメリットのプレゼンを開始する。
ここでよく出てきがちな字幕のメリットとして「字幕の方がオリジナルのニュアンスに近い」があるだろう。
だがコレは効かない。むしろ、これこそが「かっこつけ」につながってしまう悪手だ。
だってオリジナルに近いとかどうでもいいもん。
てか、そもそもオリジナルのニュアンスがわからんもん。
マザー○ァッカーが『汚い言葉』と言う概念でしかなく、実際どれだけの攻撃力を持つのかいまいちピンと来ていない我々に、オリジナルのニュアンスもクソも無い。
もちろん、ところどころ聞こえてくる英単語からクスっと笑えたり、意味が補強されることはあるが、そこはかなりディープな部分であり、本筋が面白いうえでの付加価値だ。
さて、ではもはや何が字幕の良い所なのか。
やはり人それぞれの観かたと言う結論なのか。
否、字幕にはとあるメリットが存在する。
「嘘くささが減る」
だ。
個人的に、面白さには「説得力」が関与していると思っている。
もちろん、すべての作品において説得力が面白さを作るわけではない。
しかし、実写映画においてはこの説得力がかなり重視されているのではないだろうか。
アメコミのヴィラン(敵)たちも実写になればダサいスーツは着ないし、
るろうに剣心だっていちいち技名を叫ばない。
これらはリアリティのための説得力であり、「実際に起こりうるかもしれない」「あくまで現実のルールに基づく」ことで興味=おもしろいを引き出しているのだと思う。
しかし吹き替えは、この説得力を下げてしまう可能性がある。
しかもその作品がファンタジーから遠のけば遠のくほどなおさらだ。
だって日本語喋る顔じゃないもん。
それでなくともお前そんな声の顔ちゃうやろって言う時あるからね。
さらに演技、なんと我々は日本語になるとニュアンスがわかってしまうのだ!
よって
普段そんな喋り方しねーじゃん。
「○○だったわよ」とか言わねーじゃん。
そんな変な抑揚日常会話で付けねーじゃん。
となってしまい、一気に非現実味が増すのだ。
しかし字幕ならその心配はない。
外国人俳優の演技力は本当の意味で善し悪しが分かることは無いし、
顔と声が合わないなんてことは無い。
ニューヨークにいるのに日本語を喋ることもないし、
日常会話も海外の日常を知らないから嘘に見えることがない。
圧倒的説得力である。
そしてこの「心配がない」と言うのが最も重要である。
そう、2000円払ってこのガチャガチャをする勇気はない。
不安要素はなるべく少ないほうがいいのだ。
とにかく
私が言いたいのはこうだ。
『テレビ字幕にも映画用のヤツくれませんかね』ということだ。
ん?
そんな話してたっけ?
いや、頭が痛くてわからん。
終わり。