ゴジラ-1.0ってゴジラ面白いと思ったことないヤツが作っただろ

さて、過激なタイトルになってしまったが許していただきたい、なぜなら私は今怒りに満ちている。

このブログをもし、偶然にも、万が一、奇跡的に見てしまった製作関係者には申し訳ないが、言葉を選ばず「ゴジラ-1.0」の話をしたいと思う。

まず前提として、私はゴジラファンではない。

それもそうだ、アマプラが配信したのでやっと観たようなやつがゴジラファンな訳はない。

ではなぜそんなゴジラファンでもないヤツがこの映画にとやかく言おうとしているか、それは私の2時間を奪われたからだ。

あぁ、「ゴジラ-1.0」マジでつまらなかった!!!

ではなにがつまらなかったのか、

私は人間がつまらないと思う要因に「期待」と言うものが関係していると思っている。映画にせよゲームにせよ漫画にせよ、誰しも「内容はどういったものなのだろう」と想像し、その想像の中で「こんな内容かもしれない」と予想して、その予想が実際に行われることを期待して手を取るはずだ。

CMも昨今のやたら長いタイトルのラノベも、YouTubeのサムネも、この期待を引き出すためのものだ。

そしてこの期待による販売促進は関連作品で大きく効果を発揮する。

前作により想像は安易になり、求めるものが定まるのだ。

バックトゥザフューチャー2には皆、コメディとハラハラを期待する。

インディジョーンズ 魔宮の伝説にはさらなる冒険活劇を期待する。

ジャッキーチェンにはカンフーとコメディ、

ウィル・スミスにはジョークとアクション、

マイケル・ベイには爆発を期待するのだ。

これらにより足取りは軽くなる。

そして、この期待に応え続ける作品が続いてきたのだろう。

 

だが、たびたびこの的を外す作品が現れる。

そうして観客は「思っていたのと違う」ことにより興味を失う。

興味が無いとつまらないは同義だ。

例えばエヴァンゲリオンなんかはこの代表格だと思っている。

第一話や序や破やらでエヴァンゲリオンの戦闘アニメーションを楽しんだ観客が、続きに求めるのはもちろん戦闘アニメーションであり、よくわからん精神的な何かではない。

世間的には、このシーンの意味は!?とか、聖書がどうのこうの「隠された深い設定」がおもろいみたいな雰囲気になっているが、

エヴァンゲリオンに最初に魅せられたのは絶対戦闘アニメーションである。

こういう設定的な所での人気の確立は進撃の巨人なら(漫画の初期の作風からして)私は頷くが、

エヴァンゲリオンはダウトだ。

みんな庵野監督のロボットアニメが見たかっただけだ。

だがそうは庵野監督が許さなかった。

 

で、ゴジラ-1.0」

あの庵野監督ですらゴジラを作ったのに、ゴジラ-1.0はゴジラではないのだ。

皆がゴジラに期待するものは何だろう、

私がゴジラ1作目を観て作った続編への期待は

ゴジラの更なる派手な破壊と、人類の対抗」だ。

そしてこれまでのゴジラシリーズも、おおむねこの通りだっただろう。

だがゴジラ-1.0は違う。

なんとその内容はジブリの様な主人公の成長記録だ。

ゴジラはその主人公が成長するための設定でしかなく、千と千尋で言うところの風呂屋、トトロで言う所のトトロなのだ。

そのためゴジラの破壊シーンは少ししかなく(しかもそのシーンですら主人公が成長するための起爆剤)、大半が主人公の顔を映しているのである。

それを見て私は思った。

ゴジラ-1.0ってゴジラ面白いと思ったことないヤツが作っただろ!!

 

そう言った意味では、もしかしたらゴジラ-1.0ってゴジラを面白いと思ったことない人は面白いのかもしれない。

だが私にはかなり苦痛な時間となってしまった。

あれだけもてはやされてたCGも割とあれで、トランスフォーマー1作目観たことあんのかって言いたくなるものだったし(観客に製作費は関係ないので製作費の違いなどは考えないものとする)。

 

まぁ、たしかに海のCGは良かったけどさ、

あのゴジラに踏みつぶされるときのCGなんか「うわ」って声出るクオリティだったよ…。あと電車のシーンのCGも変なライティングで、てかあの電車のシーンとのつなげ方下手過ぎるだr

 

ええい!!

つまりだ、続編を作るときは何を期待されてるのかマジで考えて欲しい。

ターミネーター2はちゃんと期待を汲み取った上での大胆な発想だからね。

ほんと、主人公ゴジラだからね。博士じゃないからね。

 

終わり

 

ちなみに「シン仮面ライダー」がシンシリーズのなかで今一歩なのもこの期待だと思う。ゴジラウルトラマンも社会派的な部分で期待しやすいからね。